Interview011

デジタル復元師

小林 泰三さん

―今回は、神楽サロンにて一月から始まった「賞道」の小林泰三さんにお話しを伺います。まず、簡単に小林さんの経歴といいますか、賞道に至る道筋というものがあると思うのですがそのあたりからお聞かせいただきたいと思います。
本当に絵を描くのが好きでして、小学生のころからずっとやってきて、絵描きになりたいなとはおぼろげながら思っていました。ただ、いざ大学進学を真剣に考えると、果たして絵で生活していくというのは現実問題としては難しそうでした。そこで、美術館の学芸員になる「美学美術史」という学科を専攻するために大学へ進学しました。その後、神楽サロンからごく近い市ヶ谷の大日本印刷(DNP)に入社しました。そしてDNPで、全国各地の美術館にあるハイビジョンシアターのコンテンツを制作する仕事に従事しました。 当時は、今と違ってペイントボックスといって一台一億円もする高価な印刷機械でデジタル画像処理をしていたんです。パソコンもフォトショップもこれほど普及していない時代です。そんな高価な機械のくせにレイヤーは2枚しかない!こことここを合成してこの上にもっていってどっちも下げてっていう、ものすごくアナログな駆け引きで、それを駆使しながらも合成とカットと色補正をするんです。そういう手作業の中で、色の感覚を徹底的に身につけていきました。 そんなある日、国が主催のハイビジョン作品のコンペがあり応募しました。その時やったのが「花下遊楽図屏風」のデジタル復元でした。これは、なぜか真ん中だけ失われているという屏風でした。普通、屏風というのは六曲一双で六枚のパネルがジグザグで連なる筈なのですが、この屏風は真ん中の二つだけが失われているのです。これは、偶然、関東大震災のときにこの真ん中だけ表具屋に修理に出していた為に失われたそうです。この失われた屏風の状況は、大正時代の白黒写真だけしか資料がなく、輪郭だけが解る状態でした。 そこで、僕はこれをデジタル復元してやろうとしたのです。まず、この作品は江戸時代ごく初期の風景を描いている筈だ。そのころ桜の下で花見をしているということは、醍醐の花見というテーマの可能性がある。このぐらいの身分のひとはこの色を使ってよかったからこうだったとか、このぐらいの年代の人はもっとはつらつとした色だった、といった具合に推測を重ねていきます。そうして出来上がった屏風を取材したハイビジョン番組は、当時高く評価されてその年のマルチメディアグランプリ展示映像部門の最優秀賞を獲得する事ができました。 この時、僕はデジタル復元は世の中に受け入れられる時代になったのだ、と実感しました。そうして、DNPから独立して自らデジタル復元専門の会社を設立するに至ったわけです。

―復元する作品は、どれくらい昔のものなんですか。
幅広いですよ。飛鳥時代の作品もあれば、ごく最近は白黒写真の復元とか、モノクロフィルムの復元もありますね。

―デジタル修復は、どれくらい時間がかかるんですか?
作品によりますよね。二週間から半年程度です。傷や剥落を画像処理して直ったらはじめて色の補正ですけれども傷を取る等の初期の作業の合間に、有識者に会って裏付けを始めます。全く無色ということはないので、この辺こんな色が残っていますがこの辺はどうなっていると考えられますか、といった具合です。解釈が確定してくればある程度すすめられるので、資料を当たりながら似たような作品と比べつつ、ここにこういう表現があるならこっちはこうかもしれないということを徐々に進めていきますね。まさに推理の連続ですが、その推理も最終的にはその作品を見る側が、どういう風な鑑賞の仕方をしていたのか、という所まで行き着かないと完了しません。鑑賞する環境が、薄暗い所なのか、明るい所なのかで、色の見え方も全く異なってきます。

―鑑賞する側の視点が復元する上で重要になってくるわけですね。
僕の復元方法は大手さんが取る方法より大胆に踏み込んでいると思います。実際には全く状況が分からない所にも、類推を重ねて……。例えば平安時代の作品には、当時の色彩表現・紺丹緑紫(こんたんりょくし)というコントラストが真反対なものをくみ合わせたりしていきます。だから、ものすごくド派手ド派手ド派手となっていったりする。一見無作為にやっているこの作業も実はルールがあって、ここが緑だとしたらここは赤だった、暖色の隣は寒色だった、というように配置する。例えば仏像をそうやって色で埋めていくと、極彩色になります。普通は「ド派手でした」と、ここで復元は終わるのです。しかし、当時の人々はそれをお天道さまの真下で観るわけじゃなくて、お堂の薄暗い光の中でそのド派手な仏像を見て感動していた、というところまで私は考えます。だとすれば、復元する上では、当時と同じ色彩を、当時と同じ環境で鑑賞してみなければ、当時の人々がどんな気持ちで手を合わせていたかがわからない。デジタル復元をするのであれば、そこまではやらねばならない、というのが僕のポリシーです。 そこから派生して出てきた考えが「賞道」でした。作品を復元するだけでなく、まさに、当時と同じ目線で作品を「鑑賞する」ことを復元すべきだ、と考えたわけです。昔の色、昔のスタイルに戻して鑑賞することで、一体何が見えますか、というところを皆さんと一緒にワイワイ楽しく話しましょう、感じましょう、というのが「賞道」なのです。

―鑑賞の方法を学ぶということですか?
 賞道は、お稽古事ではありません。個々が本当のベストポジションを探るというか、その作品を観るべき環境を整え、ありのまま感じたままに各々がどうその作品と向き合うのかを探るのです。そして、どのように作品に働きかけるのか、を考え感じて頂く場です。西洋美術の基本的なあり方は作品側からの働きかけが中心で、その作品が決めた環境に鑑賞側が合わせるイメージがあります。いわば一方通行です。一方、日本美術の場合は、襖絵や屏風に代表されるように、見る側が勝手にいろいろ動かせてしまう物が多いと思います。つまり、日本美術は観る側、受け手側も働きかける、という意味で、西洋美術には無い面白さがあります。じゃあ、こうしたらもっと面白いんじゃないか、とか、こうして置いてみたら違うように感じられないか、と言うようなことをワイワイやる場が、賞道なのです。

―○○道というとなんとなく敷居が高く感じがちです。賞道は多分これから初めてやろうという方がほとんどだと思うのですが、はじめての方へメッセージはありますか。
ちょっと大げさかもしれませんが、賞道で、ライフスタイルが変わるし、きっと人生が楽しくなります。黙っていたものが話しかけてきます。一つ超能力を得たような感じになるかもしれません! 日本美術に自信を持って対峙できるようになりますから、そこから応用が効いてきます。ここにこんなの描いてあるけど!この立体感すごい!そういう風に、単純に感じたままに楽しんでいいんだよ、ということを体得できれば、例えば自分の生活の中で、襖になにかちょっとデザインを加えてみたり、あるいは絵の掛け方を変えてみたり、間接照明にしてみたり、と自分の考えで物に対するかかわり方、生活に対するかかわり方が、ちょっとずつ変わってくるものだと思います。

―最後に読者の皆さんにメッセージを
神楽坂近辺のこのあたりは伝統のある町なので、賞道をやるにはとてもふさわしい場所ではないか、と期待しています。 ちょうど本格的に東京で始める最初がここなので、素晴らしいスタートが切れました。きっと分かっていただけるというか、熱中していただけるのではないかと思っています。五回講座になっていますが、途中からの参加もできますし、秋の講座もありますので、一回目を秋に受けますといって五回一括の割引も出来ますので、お気軽にどうぞ。皆様のご参加をお待ちしております。

小林 泰三さんプロフィール

こばやし たいぞう
1966年5月24日 東京都杉並区生まれ
大学卒業時に学芸員の資格を取得。
大手印刷会社で美術のハイビジョン番組を手がけ、美術の知識と美術業界のノウハウを駆使して、美術品のデジタル復元を手掛ける。その先駆けとして高く評価され、ハイビジョンアワード、マルチメディアグランプリ、ユネスコシネマフェスティバルなどで数々の受賞。
04年に小林美術科学を設立。美術史業界のネットワークと最新のレタッチ技術を融合し、本格的にデジタル復元の活動を開始。
手掛けた作品は、飛鳥時代の高松塚古墳壁画から昭和時代の白黒写真&フィルムのカラー化まで、多岐にわたる。

『小林科学美術』公式サイト
http://kobabi.com/